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村上春樹

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1Q84 BOOK 1 1Q84 BOOK 2 ノルウェイの森 上 (講談社文庫) 海辺のカフカ (上) (新潮文庫) 風の歌を聴け (講談社文庫) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) ノルウェイの森 下 (講談社文庫) 走ることについて語るときに僕の語ること ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
1Q84 BOOK 1 1Q84 BOOK 2 ノルウェイの森 上 (講談社文.. 海辺のカフカ (上) (新潮文.. 風の歌を聴け (講談社文庫) 世界の終りとハードボイルド・ワ.. ノルウェイの森 下 (講談社文.. 走ることについて語るときに僕の.. ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉.. 世界の終りとハードボイルド・ワ..


1Q84 BOOK 1

[ 単行本 ]
1Q84 BOOK 1

・村上 春樹
【新潮社】
発売日: 2009-05-29
参考価格: 1,890 円(税込)
販売価格: 1,890 円(税込)
 Amazonポイント: 18 pt
( 在庫あり。 )
中古価格: 1,398円〜
1Q84 BOOK 1 ※一部大型商品を除く
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4
卵の話
まず、面白かったか面白くなかったか。 本を読んで、読んでいる間じゅう夢中になって、会社で仕事したり勉強したりしている間も本の続きが気になる、という意味で面白い。 文章やストーリーの安心感はさすが村上春樹だし、描かれる世界はまさに村上春樹ワールドが展開されている。頭の中は登場人物の生き生きとした活動と、彼らの内面世界への感情移入で圧倒されてしまう。 本の面白さを、読んだ後にどれだけ無邪気に「あー、面白かった」と思えるか、とすると、この本は全然面白くなかった。分からないことが多すぎるし、分かった部分だって特に愉快なことがあるわけではない。 読んだ後に面白いと思える本だったら、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のほうがよっぽど面白いだろう。 でも、村上春樹って多かれ少なかれ、もともとそういう作家だったと思う。さわやかな読後感を得ようと思って読む作家ではないのだ。 「ノルウェイの森」も実はそうだったし、「アンダーグラウンド」以降は特に、描かれている主題、登場人物の未来が、まったく手放しで喜べるようになっていないのだ。それはそのまま村上春樹の世の中を見る視点なのだろうし、自分もそれには基本的に賛同する。 この本は、非常に「村上春樹的」だ。研ぎ澄まされているし、無駄を排除している。彼の描きたい世界観が濃密に展開されている。人によってはそれが作為的にすぎるとか、遊びがなくてつまらないという人もいるだろうが、自分としては、まさにこれが村上春樹にしか書けない文章であり(いわゆる「村上春樹風文体-メタファーの多用と違う意味で)、賞賛されるべきだと思うのだ。そこに簡単な解がないのだから、読後感はすっきりしない。それは仕方のないことだ。世の中がすっきりしていないのだから。 好き嫌いの別れる本だと思う。自分にとっては必ず読むべき本だが、この本を全く必要としない人が世の中に多くいるのも分かる。ので、星5つとはしないでおこうと思う。 最後に、これから1Q84を読む人がいたら、ぜひエルサレム賞受賞の際のスピーチを読んでほしいと思う。まさに卵の話だと思うし、そう思いながら読んだ方が、より登場人物に感情移入できるのではないか。
村上ワールドがいい
村上春樹さんの小説を読んで初めて泣きました。いつもは、日常からはみ出たいときに読み、旅行に行っているような気分に浸れるのですが、1Q84は、日常からはみ出ているにもかかわらず、きつい想いばかりしながら読み終えました。 あの「海辺のカフカ」でさえ、少年は、自分を損う父を他者によりハイゼツし家に帰りました。一人の犠牲と母の死はあったものの、どこか、救われました。 今回の展開は最も救いようがない。現実に愛したい「青豆」を失ったからです。 空気さなぎ になったの青豆と天吾との再会が、おばさん趣味からすると、「冬のソナタ」よりせつない。「初恋」をモチーフに使ったのは、村上さんも少しおじさんになったせいでしょうか。 村上ワールド の進化 に感嘆しました。
BOOK1は期待通り満足できますが・・・
 「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」  冒頭に出てくるこの言葉、村上春樹の持ち味でもあり魅力でもある、会話の中のさりげないアフォリズムと思いきや、実はこの小説のテーマにもなっている。  前半(BOOK1)はワクワクしながら読み進み、さすがは世界の村上春樹、100万部も売れている小説だけのことはあると満足したが、後半(BOOK2)はハッキリ言ってガッカリした。  小説の核心部分は読者のご想像にお任せしますというわけ?それとも私の読解力と想像力が足らないのか?  特に終盤は、これでいいのかと疑問さえも感じた。村上春樹の作品を読むには広い心が必要なようです。
「書きっぱなし」の文体
 一言で言うと、書きっぱなしという印象の強い文体です。 本家『1984』とG.オーウェルについても小説のなかで言及されていますが、そこまで明示的に間テクスト性を書き込んでおきながら、小説の内容から言えば、オーウェルの作品世界とはほとんど関連性がないので、あたかもオーウェルと関連があるかのような憶測を生むだけです。  チェーホフに関しても同様で、チェーホフにドストエフスキを代入しても内容には影響がないでしょう。この説明過剰な間テクスト性は、小説世界に不要な想像力を煽っていますが、強いて言えばこの傾向は『1973年のピンボール』から明らかで、『ノルウェイの森』で強くなり、『海辺のカフカ』では煩いほどの引用がなされるようになりました。  『1Q84』を読んでいると、物語の構造にかかわりのない引用や説明が非常に煩雑に感じられ、これは一体クリステヴァ以来の批評のまなざしをかわそうとしているのか、単に世界の読者を楽しませようとしているのか、不明瞭な印象を受けます。  『1Q84』を2度読むとすると、多くの読者は煩雑な説明的文章を飛ばしながら読むことでしょう。それくらい、内容的には圧縮可能な文章が多いです。たとえば、本文に登場する「柳屋敷」は「楡屋敷」であっても、「銀杏屋敷」であっても、『1Q84』の小説世界には影響を与えません。「柳屋敷」の描写はなくても良いくらいです。  文体云々より、この小説は物語として面白いでしょうか? BOOK1を読むと、BOOK2のプロットは大体予測がつくでしょう。BOOK3、BOOK4が刊行されるとして、その内容さえ多くの読者には予測可能でしょう。そういう小説が、物語として魅力的か、ということを考えさせられました。
コミットメントの重要性
『1Q84』が売れている。400万部突破というのは尋常ではない発売部数である。現在最もノーベル文学賞に近い男・ハルキムラカミの書いた小説は、もはや国民的ブランド商品と化し、猫にも杓子にも読まれているようだ。 以前は、「わかってくれる人にだけわかってもらえばいいや」っていう感覚でとんがった小説ばかり書いていたハルキムラカミが、ここにきて作風の方向性を修正しつつあるように思える。良く言えば“わかりやすくなった”悪く言えば“俗っぽくなった”とでも言えばいいのだろうか。それこそ、10代の少年少女にも理解できる平易な内容にシフトチェンジしつつあるのだ。 (グロくなった性描写を含め)その方向性の修正は、作家が意図しない細かいところまで突っ込みをいれたがる知的オタク君たちに向けられたアンチテーゼのような気もするし、『海辺のカフカ』以降の小説が(私のような年寄ではなく)30歳くらいまでのヤング層を対象に書かれているせいなのかもしれない。 ほとんど公の場に顔を出すことのなかったハルキムラカミが最近イスラエルで演説をしたりして、積極的に社会と関りあおうする行動様式の変化とも無縁ではあるまい。醜悪な社会と最小限の関係しか持たない主人公をキレイキレイに描いたハルキムラカミの小説群が、いったい何人のフリーターたちに“癒し”と“絶望”を与えたことだろう。 弱者には排除される選択肢しか残っていない(卵が壁にぶつかって割れるしかない)社会において、パラレル・ワールドなどというユートピアは現実には存在しない。社会と積極的に関わっていくことでしか社会は変えられない。つまるところ、作家が語っていた「コミットメントの重要性」とは、そのような意味のことを言っているのではないだろうか。 そうかといって、オウム真理教もどきの新興宗教グルをポアしたり、ゴースト・ライターを買って出ることで、簡単に社会を変えられるなどとは(作家自身も思ってはいないし)読者もけっして思ってはいけない。むしろ、作家のメッセージを捻じ曲げて伝えようと画策するリトル・ピープルたちの暗躍(知的オタク君たちのから騒ぎ)に目を光らせるべきだろう。

1Q84 BOOK 2

[ 単行本 ]
1Q84 BOOK 2

・村上 春樹
【新潮社】
発売日: 2009-05-29
参考価格: 1,890 円(税込)
販売価格: 1,890 円(税込)
 Amazonポイント: 18 pt
( 在庫あり。 )
中古価格: 1,400円〜
1Q84 BOOK 2 ※一部大型商品を除く
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4
ポテンシャル・エネルギーが減ったような。
 ケンブリッジでポーランドの文学者マグダと話しているときに、「なぜ人は、小説が提供する『もう一つの世界』にとつぜん取りこまれ、さらにはその世界に棲みたいとすら思うのか」という話題になったことがあります。彼女の場合、それはジェームス・ジョイスやバージニア・ウルフの場合にやってくるそうです。そして彼女の研究の中核はそのメカニズムを明らかにすることでした。そこで私は提案しました。  確かにジョイスやウルフの世界に取り込まれる感覚はわかるけれども、それらはイギリス文化の個的な側面を引きずっているので、われわれ日本人にはきちんと嵌まることができない。そこで、ぜひムラカミ・ハルキを読んでもらえないだろうか。彼の作品の場合、こちらが身構える暇もなく突然、彼の描く『もう一つの世界』に落ち込んでしまう。そしてその世界は、日本文化の個的な側面を持つことなく、なにやらたいへん普遍的な世界なんだ、と。マグダは、すぐに私がまず勧めた「ねじまき鳥クロニクル」を読んでくれ、私の意見にふかく同感してくれたのでした(彼女は、いま母国に戻ってその分析をしてくれていることでしょう)。  じっさい私にとって、村上春樹は20年来、私にエネルギーを与えてくれる『もう一つの世界』の供給者でした。だから7年ぶりに出たこの1Q84を、私は文字通りむさぼるように一気に読みました。そして思いました。彼は、ポテンシャル・エネルギーをずいぶんと失いかけている、と。  この本は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のように、奇数章と偶数章で2つのパラレル・ワールドが交互に展開されます。それぞれの主人公は、しかし「僕」ではなく、パーソナル・トレイナーの青豆という女性と予備校講師の天吾という男性です。ところが、だんだんと登場人物の行動や感情がぎこちないものになっていくのです。  Book2になると、それは目に見えて明らかになってきて、幻想世界の役者たちが「つくりもの」のにおいを放ち始めます。たとえば「青豆」の終章(23章)で、青豆が最後にする行動はまったく不自然で読者は、感情移入したくてもできません。まるで壊れたばね製の機械がぎこちなく動いているようにさえ思えます。  最後の章(24章)で天吾が青豆を探しに行こうとするその数行に、わずかなPhilosophie Positiveを見ることができるのが唯一の救いかもしれません(おそらくこの『1Q84』は、『ねじまき鳥クロニクル』同様、ずいぶん経ってからBook3が出るのではないかと推測します)。  また、村上春樹らしくないTrivialな描写も気になります。たとえば、「ロビーを行き来する男女は、何かしらの呪いで大昔からそこにしばりつけられ、与えられた役割をきりなく繰り返している一群の幽霊のように見えた。… 彼女たちの身につけた小ぶりではあるけれど高価なアクセサリーは、血を求める吸血鳥よろしく、反射のための微かな光を希求している。」(Book2 P143)という文章などは、ありきたりのように思います。  しかし、ちりばめられている社会的なメッセージは、効果的でした。たとえば「慢性的な無力感は人を蝕み損ないます」(Book1 P238)、「日曜日には子供は、子供たち同士で心ゆくまで遊ぶべきなのだ。人々を脅して集金をしたり、恐ろしい世界の終わりを宣伝してまわったりするべきではないのだ。そんなことは大人たちがやればいい」(Book1 P273)、「醜い電柱が、空中に意地悪く電線を張り巡らせていた」(Book2 P256)、「電柱と、絡み合った醜い電線が見えるだけだ」(Book2 P454)などは、ぼくらにはぐっと来ます。もっとも日本に来たことのないマグダには、醜い電柱・電線によって損なわれてしまった日本の美意識というくだりは理解できないことでしょう。  圧倒的なattractive forceをもたらすようなエネルギーが減ってしまったこと、一方で社会的なメッセージが増えたこと。この2つは、村上春樹が歳をとったことを意味するのでしょうか。Book 3では、青豆の最後の行動が思いもよらない展開につながり、息を呑むような驚きが待っていることを期待しつつ、その出版をひたすら待ちたいと思います。    
軽くてオモイ村上ワールド
大好きな『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に近い作りの小説・・・なんかワンパターンだなあと読み始めは感じました。しかし、どんどん引き込まれていく・・・やっぱ巧いです。どんどんページをめくりたくなります。人の名前がマンガっぽく、軽くてオシャレ!お年を考えるとこの瑞々しさは超人的だと思います。そして軽いのに、オモイ(重い+思い)・・・・・・。今まで村上さんの小説は結構読んでいますが、一番私小説的でした。やはりそろそろ、自分の人生まとめておきたくなったのでしょうか。 青豆と天吾の幼いころの思い出は、心に深く突きさります。確かに投げっぱなしの感はありますが、それが村上ワールド!「ほらほら、いろいろと思い出させてあげるから、自分で結末考えて、自分の小説にしてね」と言われているような感じです。だから、引き込まれるんです。最後の情景、美しくて好きです。キュンとしました。 何も教えてくれない、結論をくれない、考えさせられるけど、それだけ・・・・・だから、いいように思うのです。現実世界と対称的な世界を設定することは、かなり宗教的な手法です。納得できる結末を与えられたら、作家は教祖になってしまいます。それを村上春樹さんは望んでいないのではないでしょうか。
コミットメントの重要性
『1Q84』が売れている。400万部突破というのは尋常ではない発売部数である。現在最もノーベル文学賞に近い男・ハルキムラカミの書いた小説は、もはや国民的ブランド商品と化し、猫にも杓子にも読まれているようだ。 以前は、「わかってくれる人にだけわかってもらえばいいや」っていう感覚でとんがった小説ばかり書いていたハルキムラカミが、ここにきて作風の方向性を修正しつつあるように思える。良く言えば“わかりやすくなった”悪く言えば“俗っぽくなった”とでも評価すればいいのだろうか。それこそ、10代の少年少女にも理解できる平易な内容にシフトチェンジしつつあるのだ。 (グロさの増した性描写を含め)その方向性の修正は、作家が意図しない細かいところまで突っ込みをいれたがる知的オタク君たちに向けられたアンチテーゼのような気もするし、『海辺のカフカ』以降の小説が(私のような年寄ではなく)30歳くらいまでのヤング層を対象に書かれているせいなのかもしれない。 ほとんど公の場に顔を出すことのなかったハルキムラカミが最近イスラエルで演説をしたりして、積極的に社会と関りあおうする行動様式の変化とも無縁ではあるまい。醜悪な社会と最小限の関係しか持たない主人公をキレイキレイに描いたハルキムラカミの小説群が、いったい何人のフリーターたちに“癒し”と“絶望”を与えたことだろう。 弱者には排除される選択肢しか残っていない(卵が壁にぶつかって割れるしかない)社会において、パラレル・ワールドなどというユートピアは現実には存在しない。社会と積極的に関わっていくことでしか社会は変えられない。つまるところ、作家が語っていた「コミットメントの重要性」とは、そのような意味のことを言っているのではないだろうか。 そうかといって、オウム真理教もどきの新興宗教グルをポアしたり、ゴースト・ライターを買って出たりすることで、簡単に社会を変えられるなどとは(作家自身も思ってはいないし)読者もけっして思ってはいけない。むしろ、作家のメッセージを捻じ曲げて伝えようと画策するリトル・ピープルたちの暗躍(知的オタク君たちのから騒ぎ)に目を光らせるべきだろう。
いつもの!
村上さんの本ですから当然いつもの村上ワールドです。今回はどちらかといいますと、私が個人的に村上作品のベスト1だと思う「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に近い感覚だと思います。いつもの村上作品の特徴とも言えるあちらの世界とこちらの世界という2つの世界が出てきたり、自身に非は無いものの巻き込まれる事や、様々に魅力的な脇を固めるキャラクターたちや、スーパーナチュラルな何かを持った鍵になる人物が出てきたり、主人公に好意的な複数の魅力的な女性の登場、使用される楽曲の選曲の素晴らしさ、時々出てくる固有名詞を交えるのが絶妙な事とか、物語を終えた後の余韻の深さなど、まさにいつもの村上春樹ワールドです。 青豆(あおまめ、と読む珍しい苗字の女)と天吾(てんご、と読む男)の物語が平行して進む物語です。正義について考えさせられる青豆さんと不思議な物語に関わった天吾くんの話しが奇妙に絡まっていきます。 で、何かそれ以外で変わった感覚は無かったか?と申されますと、これがあまり無かった、と思えます。正直いつもよりサービス満点でストーリィテリングという意味においては起伏がたくさんあり、謎も多く、しかも魅力的ですし、引き込まれます。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で言えばハードボイルド編の主人公「私」のような物語がふたつ平行して進んで行く感覚を持ってもらえれば間違いないと思います。1巻はサービス満点なアレの話しや場面が多いことを除けば話しの展開はとても気に入りました。が、物語の収束点、関わりとけじめ、そして書き手が主人公にいることで、どうしても作家村上春樹という存在無しには想像しえない人物に写ってしまうところで少し残念に思いました。ただ私個人にはちょっと鼻に付く感じでした。つまりあまりに作者の分身あるいは境遇を匂わせすぎると、非常に興ざめしやすく、生臭いことになりはしないか?ということです。特に村上作品の特徴は何処の誰でも、「この主人公は私だ!」と思わせる無名性からスタートした作家であると思うので、あまりに書き手であることの背負うものを組み込んでくると、それが作者の代弁に聞こえやすい、ということです。その辺をいかに物語るチカラや、臨場感、さらには展開や描写で、その世界に入り込むことで黙らせることができるか?なのですが、私個人の好みとしては今ひとつだったかな?と。 2つの流れの物語が絡み合って、そして収束するレベルにおいて、私は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」により完成度の高さを感じます。あるいは「アンナ・カレーニナ」のような、2つの物語の収束後に、新たな境地を見出す何かがあれば、それも面白かったのではないか?とも思います。「ねじまき鳥クロニクル」がそうであったように突然第3部が出るかもしれませんしね。 できればジョージ・オーウェルの「1984年」は読まれた後の方がより楽しめると思います。 村上作品の初期のものが好きな方にも、そして村上ワールドに浸りたい方にも、オススメ致します。
面白かったのに・・・
情景描写や、各登場人物の人物象や感情が非常によく伝わってくる作品。また、大きな渦のように、関連性のない事象が徐々につながっていくストーリー展開は読む者を引きつける。 ファンタシー的な独特の世界観があるので、もっとハードな、現実的、日常的なストーリーを好む人には向きません。 僕はストーリー展開が面白いと思いながら読んで、天吾や青豆さんにとても感情移入でき、グイグイ引き込まれていきました。 ただ、最後の終わり方は理解できません。あまりにも唐突すぎるし、ハッピーエンドでもなく、悲しいエンディングでもなく、示唆のあるエンディングでもない、現実的な問題も、ファンタシー的な問題も、何も解決しないまま終わってしまう。。。感情移入していただけにこれは頂けない。少なくとも、終わってしまった物語がこれから進んでいく方向でも示唆されていたらいいのに。でもそれさえもなく、突然、話の途中で切れる電話のように終わってしまいました。残念です。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

[ 文庫 ]
ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

・村上 春樹
【講談社】
発売日: 2004-09-15
参考価格: 540 円(税込)
販売価格: 540 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 300円〜
ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4
ノルウェイ
この本に出会ったのは今から20年前、ちょうど高校生の頃だったけど、読んでいて衝撃をうけたのを覚えています。また最近読み返してみたが、色あせるどころか、さらなる鮮明さをもって再び心にうったえかけてくれました。ふと考えてみると、今の自分は小説の中の現在のワタナベ君と同い年なんだなぁと個人的な感傷も覚えたり。 僕の周りでは結構直子が嫌いっていう人、特に女の子が多いのですが、僕にとってはなんていうか、直子という存在は硝子の器のように儚いものの象徴のような気がして、読んでいるととても悲しい気持ちにさせらます。最近映画化の話が出ているが、個人的な感想としては直子はぼんやりとしていて現実味がない、儚い象徴なので映像ではっきりと写されるときっと違和感を感じてしまうと思う。 ゴダールか誰が言った言葉だったか忘れたが、映像は色あせるが文章は色あせないという言葉を聞いた事がある。 僕の中ではきっとこの本はこれから20年先、40年先と生き続けていくものになると思う。
大学生を主人公にした場合の限界
 ハンブルグ空港に着陸するボーイング747に乗った主人公ワタナベが回想したのは、大学時代に見舞いに行った女友だち直子が療養生活を送る京都北山の草原の情景です。自殺した親友の恋人だった直子の心の病を通して、大学1年生ワタナベの人生が大きく揺さぶられていきます。読者は淡々とした描写の中に、登場人物たちの大きな心の変化を読み取るべきでしょう。  そして療養所で直子と同居するレイコさんが、二人のアドバイザーのような立場で人生を語ります。ワタナベが療養所を訪れた最初の夜に彼の床に現れたのは、直子ではなくて実はレイコではなかったのかという疑問は、下巻に持ち越されます。  全般に、大学生を主人公にしているため、私には描かれている世界が世界がやや狭く感じられます。純文学作品として評価の高い理由が今一つつかみきれないのは、私の読書経験の少なさゆえでしょうか。
駄作
平易な文体で読みやすいのは確かだが、それだけ。一時期流行ったケータイ小説と何が違うのか。作者自身が潔くこれは官能小説ですと言い切ってしまえばまだ笑えるのに、純文学だというから笑えない。タイトルもタイトルだ。
1Q84後に。
新刊1Q84を読んだあとで、最読了。やっぱりハルキワールドの旗手はこの本かな。 来年は映画化されるそうだが、たぶんこの空気感は出せないだろうなと再確認しました。 小説だからこそ良い世界というのもあると思います。 売れたものを片っ端から映画化するのではなく・・・・
ケータイ小説のハシリじゃないのか?
村上の文章はケータイ小説ほど稚拙ではないが翻訳体の文章で味がなく 日本語が持つ独特の文体を生かす意図が全く感じられない。 日本語の特徴を生かさないのだから日本語で書く意味が無い。即ち日本文学ではないのである。 無機質な文章故に外国語へ訳しやすいのだろう、海外でも広く村上の作品が流布していると聞く。 だがこんな作品が日本文学として外国人に読まれてるなら愕然とせざるを得ない。 村上はもっと適正な評価を受けて然るべきである。 作品自体は日常の風景が繰り広げられているだけで圧倒的な独創性溢れる世界観が展開されているわけじゃない。だから時を忘れて読む進めてしまうなどということもない。 登場人物が皆若くて「セクロス、自殺、鬱」とこの設定がケータイ小説に類似する点も多い。 私はケータイ小説を読まないし読めないのがだ村上の作品もまた読めない。 もし、作品に面白さを感じ取れなかったら知識人がどう評価しようと自分の感性を信じてほしい。 知識人は著者の意図以上に登場人物の心の機微を読み取って解釈するが著者は単なる「遊び」で書いているかもしれないのである。 どんな小説にも高尚なメッセージが詰め込まれているとするのは誤りである。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

[ 文庫 ]
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

・村上 春樹
【新潮社】
発売日: 2005-02-28
参考価格: 740 円(税込)
販売価格: 740 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 273円〜
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4
いろいろな意味で面白いです
村上春樹さんの小説を読むのは初めてです。最近の話題性で、空港で何となく買いました。 表面上のストーリーがどうなっていくのか気になって、面白くて、どんどん読み進んでいきます。 それに織り交ぜて、あるいは、表裏一体のその裏側で、ナカタさんに代表される登場人物などを通した、多くの比喩的・暗示的な表現で、現実と非現実の境界線を超越して、人間の内面世界に深く入り込んでいきます。 そんな非現実的な話はただのおとぎ話だ!と言い切れない、人間にとって、現実の問題として、とても重要なことに触れようとしていると思いました。 村上春樹さんは、読者がそれをどこまで、どう読むのかと、チャレンジしていると思えてなりません。(まさか、あっかんベーはしていないでしょうが) 私自身、矛盾に満ちた読後感でびっくりしています。 娯楽をもたらす読み物としてとても面白いです。でも、その単純な面白さとは別のところで、深く心に響く表現がびっくりするほど沢山出てきました。 読者を俗な形で引き付ける、スピード感のある、ストーリーでありながら、非常に深い、いってみればややこしいナゾかけで、人間について考えさせる表現が交錯していています。 美しい小説とは思えないので評価は★三つですが、それ以上の余韻に満ちた読後感をもたらしました。
村上春樹氏の小説は初読ですが…
村上氏の小説はこの「海辺のカフカ」が初めてなのですが、 冒頭からの独特の文章と編成に少し戸惑いました。 別々のお話が代わる代わる進んでいく形式には読み進めて慣れましたが、 田村カフカ側のお話がどうも読みづらい感じがしました。 「例えば?」と長々語られる別作品についての文章は 正直、あまり読む気が起こりません…。 所々の性描写もストレートすぎてあまり自分の肌には合わないように感じました。 一方でナカタさん側の進行は淡々としていて読みやすく、和みました。 (猫の心臓のくだりは他の方も仰るように、少々気分が悪くなりましたが…^^;) 村上氏の作品は良い評価も多いので、 一度触れてみる機会が出来てとてもよかったと思います。 ですが、今後また作品を読みたいかと問われると…微妙です。 読書経験の少ない若者の意見ですが、少しでも参考になればと思います。
東京都中野区野方から始まる物語
 こういった作品に「謎解き」を期待するのは不謹慎なことかもしれません。当然、明確な答えなどは著者は用意していないでしょう。しかしそんな抑制も効かなくなるほど、細かな情景描写や心理描写がもどかしく感じられ、先へ読み進みたくなる作品です。  物語は、唯一「東京都中野区野方」を共通点とする、少年と老人の話が全く無関係に並行して語られ、上巻の最後でようやく関連を持ち始めます。  この2人のまわりに、さまざまな人物が行き来します。その中には、かなり浮世離れした人物が何人かいます。いわくありげな人たちの前史も明らかにされ、一幅の絵と、一編の曲に収斂していきます。  老人と少年がどういう形で出会うのか。あるいは出会わないのか。出会うとしたら、それはやはり瀬戸内海の向こうなのか。少年は母と姉にも会うのか。そして、父の予言どおりの展開になるのか。なぜ、老人は猫との会話能力を失ってしまったのか。少年と老人のどちらが罪を犯したのか。・・・などなど。  そして最大の謎は、戦時中に小学生たちを襲った「事故」でしょうか。・・・下巻に進まないわけにはいきませんね。  もちろんストーリー展開を離れたところで、じっくりと心理描写などを味わうこともできます。多感な15歳の家出少年の揺れる心と大胆な行動。実社会とほとんど無関係に生きている老人の純粋無垢な心と、実社会のただ中にいる人たちとの珍妙なやりとり。そして、ときに前触れもなく起こる超常現象の数々。  そして大島さんをはじめ、脇を固める人物たちの短くも印象的なせりふも、読者をうならせずにはおきません。
海辺のカフカ
タフな15歳の不思議な魅力にひかれる。まだつながらない登場人物にもひかれていきます
ストーリー・テリングの天才
 私は村上春樹のファンではないが、彼の主著はほとんど読んでいる。彼の小説はどれも、主人公の性格、モチーフ、文体といった点で類似しているが、この小説もその例外ではない。ファンは、また村上春樹ワールドに帰ってきたという感覚を抱くだろうが、アンチは、また同じパターンかよ、と感じるだろう。    私は村上春樹はストーリー・テリングの天才だと思うが、本書でも村上は天才振りを発揮している。ここまで読ませてくれる作家は少ない。他方で、本書が文学として捉えられることには若干違和感を感じてしまう。村上文学の「文学」たる所以は、その象徴性にあると思うのだが、この小説は彼の他の作品に比べると象徴性の点でやや陳腐である。下巻がどのような展開を見せるのか楽しみ。

風の歌を聴け (講談社文庫)

[ 文庫 ]
風の歌を聴け (講談社文庫)

・村上 春樹
【講談社】
発売日: 2004-09-15
参考価格: 400 円(税込)
販売価格: 400 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 282円〜
風の歌を聴け (講談社文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4.5
透明
所属する読書会が今度、村上春樹論をやるというのでそれをきっかけにして、デビュー作を 手に取った。 僕自身、村上春樹作品は初めてではないから、デビュー作から「こんな感じだったんだ?」 ということがわかり、感慨深い。この「こんな感じ」の「こんな」というのは、いったい 何なのか?おそらく多くの読者が共有しているのだけれど、そのほとんどの人がそれを明示 できないでいるのではないだろうか。ここで無謀にも、その「こんな感じ」を僕なりに言わ せてもらえばそれは、村上作品が「要約できないところ」にあると思う。 「『風の歌を聴け』ってどんな小説?」と友達に問われ、読み終えたあなたはうまく相手に 要約して説明してあげられるだろうか。ここに村上作品の「こんな感じ」があるのだと、僕 は思う。で、さらに突きつめればそれは、作中でとりたてて大きなことが起きていないこと に起因する。そう、村上春樹の小説ではいつも「「起こっていない」が起きている」のだ。 取り立てて何か具体的で、大きなことは起きないけれど、何かが躍動していた。そのこと だけが、読者の読後感として歴然と残る。まさに風のように。 一夏のたった18日の経験が、透明な風のように通り抜ける。そんなデビュー作。
1Q7Q年リリースのデビュー作ということで
 同じ作者による話題の最新作が2009年の5月にリリースされていることと、この同じ作者のデビュー作がちょうど30年前の1979年の同じ5月に発表されていることとの間には何か偶然以外の何かがあるのかとの軽い気分の勘違いに似た思い入れにとらわれて、この処女作を再読してみる。二度読む価値のない本は一度たりとも読む値打ちがないとは誰が言ったのだろうか(今、私も言ったが・・・・・)マックス・ヴェーバーが言ったのだ。でもこの本を読むのは二度目である。  「1Q84」ではヤナーチェックの"シンフォニエッタ"とソニー&シェールの"The Beat Goes On"が刺身のつまのように現れてくるが、本書ではThe Beach Boys(海岸少年)の"California Giels"が爽やかに軽やかに、はたまた面白おかしくビールのおつまみのように聞こえてくる。またこのデビュー作に既に村上お得意のパラレル・ワールドの片鱗が見え隠れしないでもないといったら言い過ぎだらうか。  そうそう、この本ではあの鼠先輩がカウンターデビューしている。歌ってないけど、ポテトの皮を剥くってスタイルで・・・・・。
若者像を変えた作品。
印象的なフレーズと小道具(レコードやミュージシャン)、映画のカットのような挿入で読み手の想像力を刺激してくる作品です。この小説が、20代の若者の姿を変えたと思っています。それまで、青春小説というのは、若者の間で起きる事件、恋愛、大人になる前の青臭さ、若者の無軌道ぶりといった若さ、甘酸っぱさ、瑞々しさ、残酷さなどに起因する姿を描いたと思うのですが、多くの人にとって、青春時代というのは漠然とした時間の中に埋もれています。モンモンとしている時間といえるかもしれません。村上春樹さんは、それをこの作品で表現したと思います。サリンジャーのようなアメリカの作家がこういう世界を描いていましたが、日本では村上春樹さんが20代の若者を包んでいる空気を描くことに成功したと思います。この作品の生まれた頃が、日本がアメリカ並みの豊かさを備え、生きるために行動するよりも、若者は自分の世界を作り出すために時間を費やすというような、歴史が残さない時代の境目であったのだと思います。村上作品を支持したのは、そういう新しい時代に踏み込んだ若者達であったのではないでしょうか。翻訳本のような文体、何も起こらない世界を読ませるための、レトリックと文章作りの技巧が図抜けていると感じています。文章の巧みさがあるゆえに出来上がった小説だと思っています。
やれやれな雰囲気
どんな小説にも印象的なフレーズは登場するが、それらは大体、主人公の考えや行動によって重みと真実味を持つ。この小説では印象的なフレーズが数多く散りばめられているが、ただ「散りばめられている」だけであって残念ながら何の説得力も持たない。例えば「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である」というのはエジソンの名言であるが、これはエジソンの人生を知り、初めてその意味を考えられる訳である。そういう意味で、「最初のページだけでこの小説は終わる」とまで言っている人たちのことが僕には理解できない。 結局のところ、この小説を気に入るかどうかは、「やれやれ」という雰囲気(村上春樹が21歳だった時代の、つまり「誰もがクールに生きたかった時代の雰囲気)に共感できるかどうかだと思う。 と、批判的なレビューになってしまいましたが、僕としてはこの小説は非常に気に入っています。星5つ。
何度でも僕を救う。
第一章は7ページから始まり、13ページで終わる。たった7ページ。仮にこの小説が、このたった7ページしかなかっとしたら? 僕はそれでもこの小説を買う。7ページしかなくても、値段がいくらであっても、この小説を買う。それほどこの第一章の文章は美しい。初めて読んだのは恐らく、23歳くらいだったと思う。年齢がはっきりと思い出せないということは、それほど感動しなかった証拠なんだと思う。けれど今は違う。この小説を読むたびに救われる。そんな気持ちになる。 冒頭の有名な書き出しはもちろん好きだけど、今の自分にとって好きな文章はふたつある。 「もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない」 著者がデビューした1978年、僕は生まれた。そして僕の年齢は、村上春樹がデビューした年齢と同じ30歳。10代や20代には感じることが全くなかった、年齢を重ねることに対する漠然とした不安が襲ってくる。それが30歳という年齢なんだなと実感する。けれどこの文章を読むことで僕は救われた。うつむかず前を見据えて生きていけば、年齢を重ねることは怖くないんだと。もしかしたら、村上春樹が30歳だったとき、やはり同じような不安があったのだろうか、その不安があったからこそ、この文章が生まれたのかと考えてしまう。考え過ぎだろうか。 もうひとつの僕の好きな文章。 「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。そして、それが僕だ」 この文章の意味とか、そういったものではなく、ただ単純にカッコいい。この文章から醸し出される空気がとてつもなくカッコ良くて、本当に好きだ。 この小説を読むことで、僕は何度でも救われる。だから本棚の、一番に手が伸ばしやすいところに置いている。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

[ 文庫 ]
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

・村上 春樹
【新潮社】
発売日: 1988-10
参考価格: 620 円(税込)
販売価格: 620 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 50円〜
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4.5
弱々しい物語
今更この本にコメントする必要など本当は何もないのだが。何とか文学賞でのスピーチだの、新作が空前のベストセラーだの、という空騒ぎをばかばかしく思うついでに、この作者の小説で自分が最後に読んだこの本に雑感を。 ストーリーも文体も非常にスマートで、ブランド物の洋服や雑貨のように、知的ファッションのツールとしては申し分ない作品。しかし、小説の底はきわめて浅い。物語というものの本質的な娯楽性を逆手にとって読者の不意をつき、喉下に匕首を突きつけ無理心中を迫る、というような真の道化のリアリティーはここにはない。「ふり」程度はあるかもしれないが、読者だけ死んで、自分は生き残ってしまう情けないパターン。いや、読者もこの程度で死んだりはしない。そういう意味では、まったく安全・安心な商品。 「壁」も「システム」も単なる幻想にすぎない。小説の中だけの、文字通りの「フィクション」。「心」もまた同じ。すべては作者の頭の中ででっちあげられた空虚な概念。そんなもの物語の外の「現実」のどこを探しても存在するわけがない。そんなことは百も承知と言いながら、作者も読者も、何か人生の、あるいは世界の真実に迫ったかのような錯覚を楽しんで、自分らの「物語」の限界にはまったく気がついていない様子。「物語」の役割に対する過度の信頼や筋違いの神聖化はやめたほうが良い。それが行き過ぎれば、ひょっとして、そういう「物語」こそが「壁」や「システム」に成り果てることになるかもしれぬ。 そういう意味では、現代における「物語」の衰弱した姿がここにはあるのだと思う。まあ、弱い、というのがこの作者のトリッキーなセールスポイントではあるのだろうが。
低俗風。
上巻を読んだだけの時点でのレビュー。 ストーリーの展開の仕方やストーリー自体は、まぁ巧いと思う。 なので、読み易いと言えば読み易い。 けれども、嫌な点が主に2つ。 1つは、巧くもない比喩が冗長過ぎるまでに織り込められている点。 結局、そういった「無駄」な部分を省いたら、中身は単純で薄い気がする。 それでもストーリーはしっかりしているので、そのストーリーに対する評価は「巧い」なのだが。 比喩の所為で興醒めする。 もう1つは、何彼に就けてセックスの話題を織り交ぜたがっている点。 それがハードボイルドだと勘違いでもしているのだろうか。 性欲に愚直な主人公と、身持ちの脆い(脆そうな)周辺女性のやり取りに、うんざり。 どう言い訳しても、かなり低俗に見える。
うーん・・・
村上春樹さんの作品を読んだのはこれでまだ2作目です。 フランツ・カフカの作品が好きで、村上春樹さんはカフカに影響を受けた 日本の作家、というのをどこかで見て読んでみたいと思ったのがきっかけで、 春樹作品の中で最も有名だと思われるノルウェイの森をまず読みました。 そのときは正直、私にはあいませんでした。 読む限りカフカの影響はまったく感じられませんでしたし、ありていに言って しまうと、作者の自慰行為を見せられているような不快感が残りました。 でも、このアマゾンのレビューを見て、どうもノルウェイの森よりこちらの方が 自分には合っていそうだということで、前回のことはありましたがこの本にも トライしてみようと思いました。 結果、やっぱりダメでした。 言いたいことは分かるんですが、とにかく引っかかる部分が多かった。 主人公のために博士と孫が尽力してくれる理由が最後まで分かりませんでした。 システムやカンパニー側が消そうとする理由は分かりますが、博士と孫がなぜ 自分達を危険にさらしてまで? 最後の謎解きも、最初に会ったときに話せばそれで済むのに、なぜ地下でわざわざ インディージョーンズばりの冒険をする必要があったのでしょう。 主人公といい関係になる二人の女性はやっぱり主人公の自慰行為を手助けする ためだけの道具に見えます。私個人の穿った見方かもしれませんが。 上巻の方の世界観作りだけは確かに(私は好きな)カフカ的で、興味を引かれた ので下巻に入ってからの謎明かしに結構がっかりしました。 他に琴線に触れる部分があまりなかっただけに特に。 おしゃれな雰囲気を出したいだけじゃ?と思えて仕方がない現実離れしたセリフ 回しも、うーん・・・ あくまで私の場合ですが、読んでてもそういう部分がいちいち引っかかって あまり楽しめる作品ではなかったです。
最高傑作(異論は認める
そう言わざるを得ない作品です。数多くの村上作品を読んできましたが、これを越えるものは恐らくないと思います。村上春樹アレルギーじゃない人は絶対読むべき作品個人的なは世界の終りの世界観が大好きです。
未だに、村上文学の最高峰
一般の方にとって、村上春樹といえば「ノルウェイの森」だとか「海辺のカフカ」なのだが、その実、村上春樹ファンの中で最も評価が高いのが、この「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」なのだ。影を奪われ心を失いつつある「僕」が、壁に囚われた街で一角獣の頭骨から夢を読む事を生業とする「世界の終わり」。システムに属する計算士の「私」が、ファクトリーに属する記号士ややみくろと攻防を繰り広げる「ハードボイルド・ワンダーランド」。この全く趣の異なった二つの話が交互に進行してゆく。 「世界の終わり」の無味乾燥で退廃的な原風景。「ハードボイルド・ワンダーランド」のニューエイジ的な殺伐とした空気…。しかし、設定も時間軸も何もかもが全く異なった二つの世界は、「一角獣」という各世界をジョイントするアイテムによって、徐々にその関連性を増し、一気に物語の核心へと加速してゆく。 純文学の体裁ながら、シュールレアリスムやSFまで加味された、重厚かつ精緻な世界観にはひたすら気圧される。意味深長でありながら軽妙なユーモアも織り混ぜた村上春樹特有のタッチで綴られるそれぞれの異世界は、霊妙ですらあり、まさに、彼のイマジネーションの賜物なのだ。これは、戦後の日本文学における極めて重要なアイコンであり、同時に村上春樹の金字塔だといえよう。 未読の村上春樹愛読者は言うに及ばず、一般の読書家にも、最早必携の書である。この小説には、読者の人生観を雲散させて再構築してしまう程のパトスがある。そして、読者を決して裏切らない。

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

[ 文庫 ]
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

・村上 春樹
【講談社】
発売日: 2004-09-15
参考価格: 540 円(税込)
販売価格: 540 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 300円〜
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4
淡々としている
淡々と流れていくような感じ。 こういう表現は、そこに広がる世界を趣深く想像させてくれるし、 露骨な性描写に対する不快感を和らげてくれたりするけれど、 この作品のテーマとして謳われているような喪失感を表せているのかと考えると疑問が残る。 淡々とした喪失感は、虚無的な印象にならざるを得ず、 絶望や葛藤など、喪失感に付随する感情の起伏というものが表現しきれていない印象があるので、どうしても物足りなさがある。 現実の喪失感というのはもっと壮絶なものであり、受け入れがたいもの。 そういったものを諦観的に受け入れて淡々と物語ると言うのは、 青年期である主人公の心理としては、やはりしっくりこない。 これが村上春樹の世界観なのだと言われれば、それまでだが。
忘れていた感性
今まで村上春樹の作品を読んだことがなかったのですが、今回、カナダ人の友人に勧められ読んでみました。ビートルズの曲と物語の回想シーンとが見事に状況をとらえ、何回も読みたくなる本です。ストレートな文章から、忘れていたとてもデリケートな感性が呼び起されるような気がしました。
恋愛ファンタジー
村上春樹さんの作品で、はじめて読んだのがこのノルウェイの森です。悲しい話なのですが、どこかファンタジーな感じもします。この作品が相当面白かったので、しばらく村上春樹さんの作品を読みあさりました。その結果、ノルウェイの森が、一番面白かったです。
生と性、そして死の観察者たる「僕」
「幽霊」のように「存在感」がなく、この世を たゆたく「僕」を通して、1970年代の学生のライフスタイルを 舞台装置に、生と性、死を描いた下巻です。 読み手によって、千差万別な解釈と評価がでることは必死な作品ですが、 この作品が、私の村上春樹氏デビューとなりました。 存在感のない「僕」、生きる目的も死ぬ意味もみいだせず、性に執着すること もない「僕」の目の前を通り過ぎていくさまざまな人々。 とても、生き生きと生きているとは言いがたい「僕」と、彼らの、 思念を流れるままに、オートグラフしたかのような形式が、とめどない言葉の ストリーミングとなって読者の前を通り過ぎます。 斬新な手法と、一見恋愛を描いたようなストーリーですが、深読みすれば するほど、カフカ的な小説に見えなくもない。 「僕」ワタナベの過去の抜け殻を記憶に残すための、直子とキヅキ。 それに対して、今の「僕」の記憶をとどめるために存在する「緑」と「永沢」先輩。 過去と今をつなぐ「レイコ」さん。 自分の肉体と精神では、満足に生を生きられない、かわいそうな「僕」を 通して、過去の中の「過去と現在、そして未来」を回顧する、斬新な手法の本作品 は、言葉の嵐にどっぷりとつかって、現代の小説の洗礼をたっぷりと受けるに ふさわしい、おもしろくも虚無的な作品でした。
心が動きました
心が動きました。 純愛の物語と言うよりも、喪失の物語と言えると思います。  物語を通じて緑の存在が救いです。 緑の生命力が、主人公・僕の生きる力になっていると思います。 本当に大きな喪失は、時間と共に解決していくしかない。 どんなに心にポッカリと穴が開いても、記憶はいつか遠ざかっていきます。 記憶が遠ざかっていく事実におののきながらも、人は生きていける。 ポッカリと開いた穴に飲み込まれないように支えてくれる存在がいてくれること。 こんなに素敵なことはないと思います。

走ることについて語るときに僕の語ること

[ 単行本 ]
走ることについて語るときに僕の語ること

・村上 春樹
【文藝春秋】
発売日: 2007-10-12
参考価格: 1,500 円(税込)
販売価格: 1,500 円(税込)
 Amazonポイント: 15 pt
( 在庫あり。 )
中古価格: 880円〜
走ることについて語るときに僕の語ること ※一部大型商品を除く
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4.5
村上春樹の人生哲学:長編作家=長距離ランナー
 この本は作者のマラソン論であると同時に、小説家としての人生論としてかなり意識的に纏められている。端的に纏めるなら、それは長編小説を書くことも長距離マラソンを走ることも、共に毎日の積み重ねの上に可能であること。そして、それは作者自身にとって、一日一日を生きていくということに等しい。作者のこういうストイックな創作態度は、この春に出た雑誌「Monkey Business」第5号のインタビューでもじっくり語られているので、未読の方は合わせて読んでいただくと味わいが深まるだろう。    運動でも勉強でも仕事でも、地道な毎日の積み重ねがモノを言うのが人生だと思うし、僕も作者同様、そういう生き方しかできない地味な人間なのだということに40手前になってやっと気がついた。そんな大多数の人間にとって、この本は「ランニング本」以上のものを気づかせてもらえると思う。
誠実な人柄を受け取る
 当然のことながら、走ることについて村上春樹さんが語っている本なのだが、読んでいると彼の誠実な人柄が伝わってきて、読んでいて気持ちいい。それに、彼のような天才が、まじめに「努力」について語っていることに、すごく安心させられる。やっぱり彼は、彼なりの「存在の不安」と、さまざまな方法で向き合っているのだな、と感じられる作品だった。
心に添って走る
村上春樹を読み始めて20年が経ち、私も大人になりました。当時は20年後の自分が走るなんて夢にも思っていなかったはず。もちろんフルマラソンなんて夢のまた夢なヘタレランナーですが(笑)。不思議なのは走るのが好きかと聞かれたら「とんでもない!」と答えるだろうと言うこと。これは村上さんがシドニー五輪の本の帯に「オリンピックなんて全然好きじゃない」と書いた気持ちに少し似ています。走ることについてここまで真摯に語られた本は他にない気がします。この本を私のスポーツクラブの恩師であり、リレーマラソン大会に誘って走るきっかけを下さったコーチの退職に際し、お餞別に…とプレゼントしました。
走れ、はるき!!!
 走ること、小説を書くこと、そして村上春樹が経験できる1冊。 「もしもそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても」の出だしは、ボストンの川べりをポニーテールの美しいハーヴァードの新入女子大生が抜かしていく風景が自然の美しさを拾いながら、だんだんと走っている筆者に焦点が向く、その流れがすごい。  2時間30分弱かけて、ゆっくり楽しんで読めた。 ?僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた ──────────────────────────────────────────────────────────────── ・筋肉は、負荷を与えただけ応えてくれる ・小説を書くのに必要なことは、才能。そして、集中力と持続力 ・日本語で話すとこぼれおちる。外国語なら、言語的選択枝と可能性は必然的に限られる ────────────────────────────────────────────────────────────────
ジョギングの友であり人生の友に!
村上春樹がジョギングをしているのは知っていた。多分、健康維持か何かのためにやっているんだろう、その程度に軽く考えていた。この本についても、春樹がジョギングについて書いたエッセイ本だろう位に考えていた。 読み始めて驚いた。この本は春樹の自叙伝ではないか。しかも、春樹の人生哲学のエッセンスが織り込まれている。何故、ジョギングを開始したか。何故、毎日走るのか。どのようにして小説を書き続けているか。それらが、春樹の体験した25のマラソン・レース、北海道のウルトラ・マラソン、ランナーとして経験した運動能力の年齢的なピーク、そしてトライ・アスロンへの挑戦。 ボストンを走り、NYを走り、アテネを走る。書き続けるために走り、走りながら書く。ランニングの才能もなく、小説家としての才能もない春樹が、いかに目標を設定し、毎日、たゆまぬ努力を続けてきたことが真摯に描かれている。 人生とは、どうゆうものかを教えてくれる。

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

[ 文庫 ]
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

・村上 春樹
【新潮社】
発売日: 1997-09
参考価格: 540 円(税込)
販売価格: 540 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 236円〜
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4.5
これを傑作という今の読者層って・・・(苦笑)
村上春樹、誰もが一度は読んで「わかった気になり」、いっぱしの文学青年を気取る作家の代表ですね。 昔はまったく違う作家がこのような位置にあったのでしょうし、今の読者層が特に知的レベルが下がったともいえないかもしれませんが・・・これを傑作ともてはやす人たち、あまりに読書してなさすぎ。 20代までの若い読書好きたちよ、とりあえずトルストイやバルザック、ディケンズを読んでから、もう一度ここに戻っておいで。30代以上で村上春樹のこの本がいい!と思ってる人は申し訳ないですがそのままでいいです。 この作品は中学生くらいで読んで、「わけわからんけど、なんかおしゃれ!」、で終わっていいと思います。構成、表現、登場人物の作りこみ、すべて浅薄です。あまり読書してない人にはこういうのが深そうに見えるんでしょうね・・・。世の中にはもっともっと優れた本がたくさんありますよ!!!
いい本でした
あることで非常に悩んでいたとき、むさぼるように本を読んでいて、この一冊に出会い、ぐいぐいと引き込まれるように読みました。その後、今までの悩みがふっ切れたようになり、また現実に戻ることが出来た。といった、出会えて本当によかったと思える本です。
すまない・・・・・・。
私が馬鹿なのか?それともこの作品が難解すぎるのか? 言いたい事は何と無くわかるのだけれど、抽象的過ぎてついていけない……。 そうかこれが純文学か! 一応三巻全部読破するつもりだが、起承転結がなくて挫けそうになった。なんというかけれんみがないから余計に辛い。森博嗣を初めて読んだときと同じ置いてけぼり感を食らってしまった。 主人公がこの手のにありがちな透明さがあったという以外は……一巻は特に面白みがなかった。ここまで読み手を試す本は初めてだ。
ねじまき鳥の登場と猫の失踪で動き始める、避け得ぬ苦難を迎える夫婦の愛(哀)の物語の序章
「あなたは私と一緒に暮らしていても、本当は私のことなんかほとんど気にとめてもいなかったんじゃないの?あなたは自分のことだけを考えて生きていたのよ。きっと」 この三歳で祖母に預けられた経験を持ち、主人公と出会うまでは絶対的な孤独を背負い生きてきたクミコ(主人公の妻)の言葉に彼女が抱える深き苦悩と夫を心の拠り所としていることが如実に現れています。 最後半、二人がお世話になった預言者である本田さんの第2次大戦時の上官・間宮中尉の外蒙古での諜報活動が独白される中、恐らく陸軍中野学校卒の上級情報将校がソ連の将校・ボリスに全身の皮を剥がれる様が描かれますが、それはまたクミコが抱える苦悩や心の痛みの大きさが比類なきものであることの暗示でもあるのでしょう。 アムステルダムでの最後の英会話でフリージャーナリストの26歳の英国系女性は「ねじまき鳥クロニクル」のsurrealな世界にとても魅かれたと言っていました。ある種の人にとっては限りなく深い意味を持つ、村上さんの幾分かは自伝的な小説です。
個人的に人生のベスト3に入れると思う
とある大物芸能人が昔、 「ある女優さんの話なんだけど、その人は『この世界とは別のもうひとつの世界へ行き来することができる』って言ってて。 あっちの世界はこちらの世界とほとんど何も変わらなくて、瓜二つなんだけどあっちの世界では争いがなくてみんな幸せに暮らしてるんだってさ」 とテレビで喋っていた記憶があります。仔細は間違ってるかもしれませんが概ねこういう内容だったはずです。 読まれた方はご存知とは思いますが、この作品の中で主人公は似たような体験をしていきます。 個人的にその話とこの作品を頭の中で並べたとき―― その話は単なる作り話ではなく、 この作品は単なる物語ではないのではないか、という疑問に駆られてしまいます。 作品中ほぼ主人公の一人称で『性質も場所も時代もまったく異なる複数の物事(それ自体が随分と現実実がなく、荒唐無稽な話も少なくない)』聞いたり経験していきます。 全く関連性の無いそれらに対し、主人公は整合性に欠けているのを自覚しながら、説明のつかない、証明しようがないなにかを見出し、あるはずのない共通項を拾い上げ、縫い合わせていく。ある場所に辿り着くために。 他の評価の低い方のレビューを見て、まぁしょうがないかもな、という感覚もあります。 無茶苦茶だし気取りが鼻につくからなぁw でもこんな表現ができる作家さんってきっと滅多にいないでしょうね。 一部の後半では読んでいて体の震えが止まらなくなりました。本を読んでいてこんな経験は人生初(最後かも)でした。 見えるものだけが、科学で証明されるものだけが全てではない、と思っている方には是非読んでいただきたいです。 ちなみにはじめの大物芸能人は誰かというと『昼メガネ』と再ブレイク芸人にあだ名をつけられていた方ですw 以上、長文失礼しました。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

[ 文庫 ]
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

・村上 春樹
【新潮社】
発売日: 1988-10
参考価格: 580 円(税込)
販売価格: 580 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 392円〜
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
村上 春樹
カスタマー平均評価:  4.5
全体的に緩やか。
上巻と同じペースで緩やかにストーリーは進み、緩やかにトーンは下がる。 細部の描写は比喩も含めて上質ではないが、かと言って飽きる程でもない。 徐々に終熄というか、収束に向かい、最終的にハッピー過ぎずアンハッピー過ぎない終幕。 レビュアー自身、下手に結論を急いだ物語の終わりが好きでないので、この終わりは好きな部類。 全体的にのっぺりとしていて、前半・後半とも感想としては変わらない。
幻想的な現実感
村上作品はノルウェイの森以来2作目。 ハイテンポで現実的なハードボイルドワンダーランドと ローテンポで幻想的な世界の終わり その相反する二つの世界が繋がり重なり合う。 「私」が使うことが出来るシャフリングという能力に隠された謎。そのキーである「世界の終わり」という言葉。突如手にする事になる一角獣の頭骨。計算士と記号士。やみくろという謎の種族。システムとファクトリー。太った女とリファレンス係の胃拡張の女。そして博士。 「僕」が訪れた「世界の終わり」という街。心を持たないが故に穏やかな永遠の日々を暮らし続ける人々。「僕」の記憶の大半を持つ引き剥がされた「僕」の影。街に住む一角獣。古い夢と呼ばれる一角獣たちの頭角。夢読みである「僕」の手伝いをする図書館の女の子のなくしてしまったはずの心。「僕」の影の脱走計画。 全ての謎が優しく、それでいて複雑に絡み合い二つの世界は除々に重なってゆく。 本当にいい作品に出会えた。
村上春樹からの壮大なメッセージ
世界から脱出しようとする「世界の終わり」の「僕」と、世界から消滅しようする「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」。二つの異なる世界は次第にシンクロしながらもそれぞれの結末へと歩を進め、それは誰にも止める事はできない。村上春樹の谷崎賞受賞作、堂々の完結! 自らの意思とは無関係に不条理に翻弄される「僕」と「私」。一貫して繰り返される世界における己の存在に対する問答、そして、逆境に立たされた人間の絶望…。 巧みなのは、理不尽や悲哀を下地にしながらも、「世界の終わり」の詩情に満ちた情景や、「ハードボイルド・ワンダーランド」の軽快さと哲学を織り混ぜた躍動というギミック。深甚なるテーマを扱いながらも、著者の衒学趣味やアイロニカルなレトリックの挿入で、肩肘を張らずに読ませる手法は、大いなるを実験性を秘めた文学の挑戦であって、まさに、喪失の文学たる村上春樹作品の王道と呼ぶにふさわしい意欲作だ。 ラストでの「僕」と「私」の選択は実に対極的である。共に世界に弄ばれながらも、宿命に対して、抗う「僕」と、従う「私」。充足への疑念と喪失への達観という対極的な二人の主人公の対応は、人がアプリオリとして持つ「意思」という名の原罪のメタファーでもある。 アイデンティティーを保て、そして、自我に忠実であれ。そんな村上春樹の投げ掛けるテーゼに、読み手は射抜かれる事なる。 真に高尚なる文学は、作品としてアーティスティックたる事、かつ、読み物として満足できる事。だが、現実には万巻の書の中でも、この条件をクリアできるものは稀少なのが実状。故に、現代の日本文学において、この作品はまさに、至宝といえるのだ。 これは、不死という幻想を通して、人間の魂を描く、破格の物語だ。
何時の時代もBobDylanはいい
 1985年(昭和60年)にオリジナルが出た本書は、平成20年を過ぎた今も面白く読むことがきる。 パラレル・ワールドを描く本書は、「カフカ」の先駆けのようなものだけに興味深いが、それにしても、当時は"Positive Fourth Street" "Watching the River Flow" "Menphis Blues Again" そして「激しい雨」が一本に収まったテープがあったんだなあ。
食べ物、音楽が・・・
村上春樹初期4部作、他4冊ほど読んでそれなりに面白かったので今回この世界の終わりとハードボイルドワンダーランド を読んで見たのだが、 食べ物、音楽の曲名がこまごまと書かれていてうざったく感じた。 食べ物、音楽に関しては村上氏の小説の手法ではあるが他の作品では、 あまり感じなかったが今回は特にうざったく感じた。食べ物、音楽でなければその時の感覚を表現できないのだろうか? その食べ物、曲を知らない人には何も意味をなさないのではないか? 村上氏は読者が皆自分と同じように食べ物、曲を知っていると思って いるのだろうか? この小説を読んでいて村上氏にちょっと失望した。

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 更新日 2009年7月11日(土)  ※ 表示価格は更新時のものです!      メール      相互リンク