カスタマー平均評価: 4
気も遠くなる想像力でつづられる人類への希望 20億年のタイム・スケールだけでも驚異的だが、
滅亡を目前にしてなお新天地を探す<第十八期人類>が
<第一期人類>(つまり我々)から<第十八期人類>に至る人類の進化史を語るという
人間離れした構想、それを実現した作者の筆力はいくら讃辞を並べても足りない。
世界文学の歴史に出現した巨大な宇宙。それが本作『最後にして最初の人類』だ。
作者オラフ・ステープルドンは当然、本作品で言う<第一期人類>にあたる。
そのため、<第十八期人類>に設定されたはずの語り部は
<第十八期人類>の思考形態や視点を持つことはできず、事実上は<第一期人類>として物語る。
これはこの作品の致命的な限界だと思う。
<第十八期人類>の精神活動を詳しく描いたくだりが難解なのは恐らく、
<第一期人類>(つまり作者)が<第十八期人類>になりすまそうとした無理がたたったためだろう。
だが人類に対して希望を捨てない姿勢を謳いあげた本作は
そんな<第一期人類>の限界を含めて人類そのものを肯定しようとしている。
<第十八期人類>の最後に生まれた若者の言葉
「人間であったとは、なんとすばらしいことでしょう」に端的に表されているように。
人類の進化を取り上げた作品としては他にアーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』
グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』が名高いが、
これらと違い本作品では人類が他の存在の助けを借りずに単独で進化を遂げている。
作者は人類の潜在的な可能性をそれだけ高く評価していたのかも知れない。
訳者の浜口稔氏によるあとがきも面白い。
なお本作品の緊張感に強引についていくためには、できるだけ一気に読む方がいいだろう。 薄っぺらな人類史 まるで筒井康隆の劣悪版コピーを読んでいるかのような苦痛に捕らわれながら読んだ本書。「最初」(第一期)の人類から「最後」(第十八期)の人類までの長い歴史を語った書なのだが、それぞれの「人類」の「在り方」があまりに薄っぺらい。盛衰を繰り返す人類の、あまりに退屈な歴史を読み続けるには相当の忍耐を必要とする。 あるいは第十七期までの人類については、意図的に薄っぺらな存在とすることで、「最後」の人類の素晴らしさを示すものかとも考えた。そうとでも考えなければ本書を読み続ける気力が沸いてこなかった。しかしながら本書は同じトーンに終始し、結局の所、各人類の薄っぺらさは著者の限界によるものと結論した。 読了後、「なぜ、このような本が現在出てこなければならないのか?」と思いつつ解説に目を通した。浅学な私は知らなかったのだが、本書は1930年に、四十四歳の著者により書かれた作品。つまり描かれる人類史があまりに薄っぺらく見えるのは時代的制約であったわけだ。 それを知って読むならば、本書に「歴史的価値」を見いだすことは可能だろう。しかし冒頭に記した筒井康隆の作品や、売れに売れた『リスク』のように、同一テーマでより優れた作品がある現在、本書を「作品」として楽しむ余地はないように思える。 史上最大空前絶後の人類20億年の未来史が遂に日本語に!! 浜口氏がかの言語に絶するSF大作『スターメイカー』を訳してから十余年経つが、最近同書が復刊の運びとなった。これに併せて、世界観を同じくし、ステープルドンの処女小説である本書が、初版から74年も経ってからようやっと完全な形で日本に紹介されることとなった。クラーク、ベア、バクスター、ボルヘス、その他無数の大家達が絶賛し、オールディスが『十億年の宴』でウェルズと肩を並べさせた孤高の巨人のこの記念碑的大傑作が日本語で読める様になったのは実に喜ばしい限りで、二冊併せて、他の誰の追随をも許さない遙かな想像力の高みを読者は経験することになる。本書の魅力をひとつひとつ挙げてみても埒があかない。とにかくこれを読まずして何がSFか! 訳文は手堅い感じで読み易い。これは内容自体の密度が元々かなり濃いので非常に有り難い。訳者あとがきにはステープルドンの生涯や作品、その作風等が20頁以上に亘って詳細に解説されており、恐らくこれが現在日本で唯一読める纏まった彼の紹介となるだろう。本書と『スターメイカー』によって、この今は忘れられた大作家とその偉業が日本の読書界に広く知られることを切に願う。 人類の未来20億年の変容 よくもまあ、こんな作品が眠っていたものです。30年にイギリスで書かれ、74年を経て日本語訳が出るとは…。巻末には訳者による作者紹介も充実しており、私のようにこの作者を知らない人にも親切な内容です。 本作は未来人“最後の人類”のモノローグの形式をとり、20億年におよぶ人類の歴史が淡々と語られるとんでもない作品。 太陽系に知的生命体が2種もいるのは現在の目から見ると少々楽観的ですが、それでもそれぞれヒューマノイドではなく独自の生命形態を持っているところはさすが。 400ページもあるのに会話がほとんどないのも凄い。こういうこともあって、どうみてもフィクションなのに、一瞬ノンフィクションじゃないか、という最良のSFやメタミステリを読んでいて陥るような錯覚に浸ることができました。 ふつう未来史というと、ヒトそのものは変化せず、その周囲を変えていくのですが、本作が他の作品と違うのは、人類の変化そのものを追って行くこと。確かに火星人との戦争や地球外への移住なども描かれていますが、18期にもおよぶ人類の種としての変容・環境の変化と、それによる人類の動向の派生を描くことがあくまでもメインになっています。その意味でも、本書の厳密な意味での邦訳(直訳)は『最後(第18期)の人類と第1期人類』でしょう。敢えて響きの良いタイトルにしたのかもしれませんが、『最後にして最初の〜』では日本語としても意味がおかしいでしょう。 アーサー・C・クラークやスィーヴン・バクスターに多大な影響を与えたことは間違いありません。この二人が好きな人なら楽しめること請け合いです。 SFファンなら読むべき、特にスケールの大きな話が好きな人なら必読の名作です。 史上最大の未来史の夢想 愛の哲学者ステープルドンが世に問うた初のフィクション作品であり、SF/文明史観史上に於ける輝かしい記念碑的作品です。 古来、人類の未来史を夢想した者は数あれど、これはそれらの中でも間違いなく最大級の作品です。未来の人類の姿と云うと、大抵の作家の場合、今日ある人類のイメージを未来世界の中に放り込んで描くパターンが殆どなのですが、ステープルドンの場合、人類はその長い生存の歴史の中で、肉体的、生物学的、心理的にも大きく変容を遂げて行きます。云うなれば、「人類」と云う概念によって意味されるものそのものが違ってくるのです。 これに似た試みとしては、例えば中後期のウェルズの幾つかの作品や、ステイブルフォードらの『2000年から3000年まで』がありますが、細部さの詳細に於ては彼等の方が上だとしても、スケールの大きさで云えばステープルドンに敵う者はいません。何せ(1930年代頃から始まって)人類20億年の歴史ですから、ハナからケタが違います。 1頁1頁丹念に進められてゆく奔放な未来社会の変遷の描写は、それだけで優にそれぞれ一冊の書物が書ける位の様々なアイディアに満ち満ちており、単にテクノロジーに於ける予想やストーリーテリングに頼った他の作家達の作品とは明らかに一線を画しています。 それだけに、この本に対する書評も大変なものです。ボルヘス、クラーク、バクスター等々、それぞれがイマジネーションの塊みたいな人達が、口を揃えて絶賛しているのですが、当然の讃辞だと思います。 本書の邦訳はこれまで『世界SF全集31』所収の金星人類の一章があるのみ。これ程の書物が今迄きちんと訳されてこなかったこと自体が驚きです。いい出版社さえ見付かれば私が自分で翻訳して日本に紹介したい位です。
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